妊娠22週 500gの赤ちゃん出産 大きな決断【体験談①】

妊娠・出産

こちらの記事は私自身、妊娠22週2日で出産した時の体験談がメインの記事になっております。

最初に切迫流産と診断された時の詳しい記事は「切迫流産・切迫早産と診断されお腹の赤ちゃんに教えてもらったこと」をご覧ください。

切迫流産と診断後の入院中の詳しい記事は「切迫流産・切迫早産による入院中の過ごし方」をご覧ください。

妊娠21週6日と妊娠22週0日との違い

妊娠したにもかかわらず、妊娠の早い時期に赤ちゃんが亡くなってしまうことを流産と言います。定義としては、妊娠22週(赤ちゃんがお母さんのお腹の外では生きていけない週数)より前に妊娠が終わることをすべて「流産」といいます。

切迫流産とは胎児が子宮内に残っており、流産の一歩手前である状態を「切迫流産」と言います。前述の「流産」は妊娠継続不可能ですが、「切迫流産」は妊娠継続できる可能性があります。

公益社団法人日本産科婦人科学会 https://www.jsog.or.jp/citizen/5707/

早産とは正期産より前の出産のことであり、正期産とは妊娠37週0日から妊娠41週6日までの出産のことをいいます。日本では妊娠22週0日から妊娠36週6日までの出産を早産と呼びます。

切迫早産とは早産となる危険性が高いと考えられる状態、つまり早産の一歩手前の状態のことをいいます。子宮収縮(お腹のはりや痛み)が規則的かつ頻回におこり、子宮の出口(子宮口)が開き、赤ちゃんが出てきそうな状態のことです。

公益社団法人日本産科婦人科学会 https://www.jsog.or.jp/citizen/5708/

22週6日までの出産は赤ちゃんの医療的な処置が受けられない22週0日以降の出産は赤ちゃんの医療的処置を受けることができるといった大きな違いがあります。たった1日の違いではありますが、とても重要になってくる数字です。

妊娠21週の様子

妊娠19週頃より子宮収縮抑制剤の24時間持続点滴が始まり、お腹の張りが頻回になると薬の量を少しづつ増やしていきました。

妊娠21週には毎日21時頃になると、10分おきのお腹が張りと共にとても強い腹痛、腰痛が襲いました。その度に点滴の薬の量を増やして深夜3時頃にやっと症状が落ち着き眠りにつくという日が1週間続きます。22週0日には点滴している薬が最大量に達し、違う種類の薬も追加し併用し始めました。

はるのひ
はるのひ

毎晩陣痛のようなお腹の痛みが出て、そこから5〜6時間耐え続けなければならず、夜が来るのがとても怖かったです。それでも赤ちゃんを信じて毎日耐えることしか私にはできませんでした。そんな中でも22週0日を迎え、切迫流産から切迫早産に変わった時は本当に嬉しかったです。

22週2日 突然の出産

妊娠22週2日、この日は朝9時頃から約10分間隔のお腹の張りと腹痛、腰痛の症状が出ていました。1週間この症状が夜に出ていたため、今日は昼間なのかくらいにしか思っていませんでした。

医師の診察や薬の増量をしましたが、痛みは徐々に強くなり、4人部屋で声を出さないように耐えるのに必死です。お昼過ぎくらいまで耐えましたが、痛みで声が出てしまうため私から助産師さんに個室への移動をお願いしました。

個室に移動した後、家族を呼ぶように言われたため、夫が来院。夫が到着してまもなく、お腹の痛みとともに陰部に圧迫感を感じ「何か出ちゃう!」と私はプチパニックです。助産師さんが触診してくれ「子宮口が開いているから赤ちゃん産まれてきます」と静かに言われました。痛みに耐えることで気づきませんでしたが、いつの間にか破水をしていたようで当てていたパットは濡れていました。

私は「え?生まれるの??これ陣痛だったの?」とまだ実感もなく。この痛みに耐えることに私はヘトヘトでした。

そこから産婦人科と小児科の医師を呼び、赤ちゃんを受け入れる準備がバタバタとし始めます。

記憶は曖昧ですが、産まれますと言われてから次くらいの陣痛でするりと赤ちゃんが出てきました。産声はもちろんなく、急いで保育器でNICUへ運ばれました。

出生体重は約500gの男の子でした。

赤ちゃんが生まれてしまって焦りもありましたが、赤ちゃんの生命力を信じるしかありません。陣痛の痛みから解放された、これも本音でした。

赤ちゃんの治療について決断

15時頃に出産し、赤ちゃんの処置に時間がかかっていたため小児科の医師が説明に来たのは夕方でした。

「赤ちゃんの命はなんとか助かり、今一生懸命生きている。救急車で小児専門の病院に搬送することもできる。けれど全身状態は良くないため搬送中に亡くなってしまう可能性がある。それならばこのまま搬送せず今している治療を続け、家族の時間を過ごしてはどうか。」

記憶は曖昧な部分もありますが、上記のような内容を丁寧に医師に説明され、今後の治療をどうするか選択するときがきました。

とても迷いました。看護師として働いていると、こういった場面には何度も立ち会ってきました。まさかその選択を我が子でするときが来るとは思ってもいませんでした。

私たちは医師と相談の後に、小児専門の病院には搬送せず、赤ちゃんとの最期の時間を家族で過ごそうと決めました。

赤ちゃんがどうか苦しくないようにお願いします」母として一番の願いを医師に伝えました。

そしてカルテ作成のこともあり、赤ちゃんの名前を夫と大慌てで決めていきます。親として赤ちゃんにしてあげられることは限られていたので、全力で考えました。今でもいい名前だねと夫と話す時があります。

まとめ

「出産」は新しい命の誕生、家族が増える楽しみという幸せなイメージが強かったです。私の出産はそんなイメージとは少し違いましたが、初めて我が子が誕生した、忘れられない時間でした。

出産になる直前、家族に連絡して来てもらった方がいいと言ったのは師長さんでした。長年の看護師の経験からそう言ったのだと思いますが、その言葉があったから夫立ち合いのもと出産できました。夫と一緒に赤ちゃんの誕生の瞬間を迎えられて後悔はありません。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

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